すずうくぬつ

自分のための、弟のしじゅうくにちです。その日に思い出した弟との思い出を忘れないように、必死こいて文字化しています。

お誕生日おめでとう

もう、永らくここに来ていなかった。

しばらく仕事やら子供たちのダブル喘息に、日々自己の体調管理に必死。

それだけ気が紛れて、ここで思い出をアウトプットしなくても良いくらいになったと思えると、弟がいなくなってからお世話になったカウンセラーに言われた「ときぐすり」の効果は凄い。

 

かと言って忘れるときは無くて。

手袋を装着しながら、弟に雑誌付録が手袋だったときに「そっちのキャンパスの生協で買っておいて!」と頼んだ話を思い出し。

冬にサンダルで出歩いて風邪引く恒例行事を常に思い出し。

春先には、高校入学当初の不安定メンタルを必死でメールでケアしたことを思い出し。

今日は、2年前に田植え機デビューして、農作業機械好きな息子を膝上に乗せてくれたことを思い出し。

毎日我が家で繰り広げられる兄妹喧嘩を見て、自分と弟が重なったり。

喧嘩に対して、自らの口から発せられる言葉が、かつて自分が母から言われた言葉であると気付いて愕然としたり…

息子と娘のどちらかを呼びたいのに、必ず間違えて「お母さん、なんで違う方呼ぶの」と言われ、これも実母と同じじゃんと愕然としたり…

 

これからの日常でも、重なる場面は増えていくだろうけれど、愕然としたり悲しくて寂しくて呼吸を忘れそうになるけれど、

子育てを経て、弟との付き合い方もまた変わっただろうと思うと辛いけれど、

「あのとき、下の子ってどう思うの?」って気兼ねなく聞けない現実が辛くて泣いてしまうけれど、

それは子供たちが無事に大きくなっているからこそ、だと思いたいなぁ。

あーぁ、でも寂しい。

 

私のことはさておき。

 

弟よ、誕生日おめでとう。

30を超えて何を思う?

ちなみに私が娘を出産した年齢だけど、君は何をしておる。おい。

毎日見ているかもしれないけれど、こちらは娘の口が達者すぎて、もう賑やかです。

兄妹喧嘩が発生したかと思えば、数秒したら笑って、また泣いて。

元気だよ、あやつら。

今年は2人とも七五三なので、結婚式を挙げた神社へ行くよ。

連休中に衣装決めに、久々に神社へ行ってきた。

君が参進のとき、めちゃくちゃキョロキョロしていたあの道を通ったよ。

え?連休中に東京行って感染心配じゃないか、って?

大丈夫、3月に一家全滅したから、抗体はあるよ。媒介するかもだけれど。

見てた?3月の我が家の惨状。

娘の学級閉鎖に始まり、娘の発熱。

半日後の夫の発熱。

半日後の息子の嘔吐からの発熱。

吐瀉物を全身に浴びて、姉貴は終わったと思ったよ。

でも、なぜか姉貴は無症状だったよ。

必死で3人分の看病したよ。

全員食べられるモノや固さが違って、必死でしたよ。

全員復活後、外出できない日々も必死でしたよ。

夫君は、即在宅勤務始めたから、自ずと育児は姉貴がやるしか無かったのよ。

どう過ごしたのかは記憶がないよ。

こんな状況を見たら、君はいっぱいオモチャを買って、送ってきたんじゃないかな。

その必要はなく、2年前買ってくれたトランポリンが、大活躍でしたよ。

娘なんて毎日ボインボインしている。

そうそう、最近「おじちゃん」って言葉がバッチリになった。

遺骨ダイヤモンドのネックレスを触って、「おじちゃん」って呼んでるの、聴こえているよね。

可愛いんだよ〜。

息子は「おじちゃんに全っ然会ってないんだけれど!会いたいんだけれど!」ってプリプリしているよ。

 

子供たち、腹が立つ場面も多々あるんだけれど、日々怒りまくりだけれど、めちゃくちゃ可愛い。

だから何十年以上前の今日、君がお腹にいたときの母が、

陣痛を感じて、

病院に行き、

君を出産し、

君と対面し、

君を抱っこして、

君に母乳をあげて、

あの、とてつもなく幸せな時間を感じていたことを思うと。

仕事を休んで病院にずっといて、

君が初めて呼吸するのを見届けた、

父のことを思うと。

なぜ今、君がいないのか。

2人の気持ちを思うと、辛くて仕方がない。

 

両親に言われた。

「親より先になんて、親不孝だって、特に年寄りに言われる。

 でも、(私の弟のことを)そんな風に言わないでほしい。

 私は親不孝だなんて思わない。

 彼が何十年もの間、私に与えてくれた幸せな時間は、十分親孝行。

 たった一瞬1回のことで親不孝と言わないでほしい。

 だから、オマエも、先立たれたことを怒るな。」

 

そう言われちゃ仕方ない。

姉貴も我慢してやろう。

でもねでもね、本当に子供って、どうしようもなく可愛いし大切なの。

私は、少なくとも91まで生きて、還暦までの人生を君と半分こするつもりではいるけれど、

子供たちを守るためなら、91前に終わってもいい、と思っている。

私たちが「ババア」と呼んでいた母に、呼び捨てにしていた父にとって、そのくらい大切なんですよ、子である私たちって。

聡明な君ならわかっているよね、コトの重大さを。

 

怒らない、って言ったけれど、

今度会えたときには、やはり小言、言っちゃうわ。

覚悟しとけ、誕生日おめでとう。

 

 

運送あれこれ

8月下旬、実家からたくさんお野菜が届いた。

常温便で。

どうやら集荷担当者が間違えたらしい。

私に伝票番号伝えなきゃ〜と思った母が伝票見直して、「え?クールじゃない?」と気付き、集荷担当者に確認するも時すでに遅し。

常温便のトラックに乗って我が家へ出発していた。

そして我が家の配達担当者立会の下、開封

暑い時期だったので、たくさんのトマトがジュースになりかけていた。

ヤマトのエラーなので、その場でお持ち帰りいただいたが。

同じトラブル、3回目だ。

初めては、弟と二人暮らししていた頃。

 

二人暮らし1年目。

実家からの荷物を『救援物資』としてワクワク楽しみにしていた弟。

(かたや私は15で実家を離れているので、有難みが薄れていた。ひどい)

そのときは食料以外に、実家に置いてきたものをお願いしていた。

横山光輝三国志(文庫版)だ。

三國無双をやりながら、

「全体的な時系列わかったらもっと燃えるんじゃね?」

という私の発言に、

『お、じゃあ三国志あるからババア(※母)に送ってもらおう』

と気を利かせてくれた。

ちょうどお米も無くなるし、美味しい冷凍食品も見つけた。

母が必死で色々と準備をし、受取日時を調整の上、地元JAから冷凍と常温の段ボール1箱ずつ、合計2箱を発送してくれた。

 

まぁ、ご想像の通りで。

冷凍と常温が逆で届いた。

溶けきって勝手に役目を果たし終えている冷凍食品たち(お米は無傷)。

そして、キンキンに冷えた三国志全30巻。

即母へ連絡、母は早速地元JAに話をしに行った。

私と弟は、食品はもう手の施しようがないと早々に見切りをつけていたらしく、2人して真っ先に三国志を全巻取り出した。

 

『このまま放置したら、結露して全巻ブワブワになる』

弟が箱から出しながらめちゃくちゃ心配していた。

私も実家にある弟の【そのとき歴史が動いたシリーズ】を散々風呂場で読んで、ブワブワは経験済。

とにかく水分を取り除き続けられる環境を作らねば…

ということで、お試し読みで入れられていた新聞紙をリビングに敷いて、そこに漫画を並べて。

さらにその上に新聞紙をかけて、別の本を重しにして乗せて。

リビングはキツめに冷房を入れて、結露しにくくなるように。

さて、どうなったか。

 

数時間後、キンキンに冷えていた三国志は、特段何事もなく常温に戻っていた。

ただ1冊、17巻を除いて。

「あーぁ…やっぱり無理だったか」

『いや、29/30がこれだけの状態なのは上出来だよ』

「なんか弁償してもらいたいよね」

『1冊700円くらいだから大したことない金額だしな。それより冷凍食品の弁償だろ』

忘れていたが、そうだ。

むしろ三国志よりも生理的欲求の1つを満たしてくれる食品の方が、シビア。

どう話を付けたのかは覚えていないが、母が冷凍食品を再度送ってくれたのは覚えている。

そして送ってもらった三国志は、夢中になって読んだことは覚えているが、内容はほぼ覚えていない。

17巻の内容を調べたら、巻のサブタイトル「落鳳坡の衝撃」。

蜀軍の軍師・龐統が命を落とすらしい。

…へぇ。

 

2回目は昨年夏、弟のことでどん底にいた私、実家もどん底で我が家への定期便なんて準備できない状態。

そこに、幼馴染実家が救いを送ってくれた。

のに、クールが常温になっていた。

幼馴染実家のとうもろこし、めちゃくちゃ美味しいのに〜

 

余談だが、今年の夏は在宅勤務が増えたので、身体をほぐすためにフォームローラーを注文したところ、佐川の倉庫で行方不明になった。

本社HPに連絡するも音沙汰なしだったので、購入店舗から突いてくれと頼んだら、即連絡があり。

「もう少し探します!」

と言って、受取予定日の4日後。

いつものくたびれた爺さんではなく、ツヤツヤの若い男性が届けてくれた。

いい人材隠してんじゃねーよと思いつつ、ありがたく受け取った。

フォームローラーは日々活躍中である。

 

それの数日後、子供の対応でインターフォンに気付かなかった私。

トラックに戻ってしまったヤマトの配達員を走って呼びに行ったところ、めちゃくちゃキレながら荷物を運ばれたので、本社HPお問合せフォームに長文クレームを入れた。

その2日後、営業支店長が我が家に来て、

・ドライバー業務から降格して教育からやり直させることにした

・もうこの家に来ることはない

・あのドライバーにクレームが来たことは初めてではない

・前も降格したことがある

・アイツ(50代)の精神はガキなんです

などと謝罪と説明(+少々の愚痴こぼし)に来てくださった。

あまりにも申し訳なくて、いつも感じのいい配達員さんを名指しで褒め称えた。

 

運送業界も大変だなぁ。

一周忌法要のおはなし

今の天気みたいに、湿っぽい話が続くなあ。

 

ちょっと前に、一周忌を終えた。

直前まできゃっきゃしていた子供たち、読経が始まると途端にピタッと黙る。

子供は敏感だと思っていたが、さすが。

声を発しただけで子供たちを鎮められるお寺さんも、流石。

癇癪起こしたときに来てくれないかしら。

 

子供たちが私の膝の上に座っていたので、光の速さで私の足は痺れた。

数年前弟とやった足の裏ツンツンゲーム、弟の法事ではもちろん弟と対戦出来ないので、早々に崩して座った。

正直なところ、お盆で祖父母と『弟』を迎えることに違和感しかなくて、

私はずっと仏壇を険しい顔で見つめていた、というか多分、睨んでいた(読経後の顔の疲労感より推測)。

弟は両親が与えた名前ではなくて、戒名というあちらの世界での名前で呼ばれていた。

やはり、違和感。

涙も出そうになったけれど、子供たちの前なので上を向いて頑張った。

泣かないように何かツッコミどころが無いか探して、お寺さんがめちゃくちゃ日に焼けていることに気付いて、クスッとなった。

それでも少し溢れた分は、綿100%の服で即吸い取ったので誰にも見られずに済んだ、はず。

 

読経が終わってから、お寺さんがお利口にしていた子供たちを褒めてくださり、息子はニッコリ。

ちょっと場が和み、母が「おじちゃんのこと、大好きだったもんね〜」と話しかけると、息子はこう答えた。

「違うよ、今でも好きだよ」

最後の最後に、やられてしまった。

 

数日後、息子と少し外を歩いた。

ちょっとした開けた場所にある、東屋が見えたら、息子はすかさず

「おじちゃんと行ったおうちだ!お母さん、あそこに行く!」

昨年のコロナ疎開の頃か、よう覚えてるな。

結構草が生えていたので面倒と思いつつ、息子の中に弟がまだ生きていることにすごく安堵して、忘れさせまいと思って、東屋へ。

昨年春と変わらず、ベンチの上には鳥のフンとかがたくさんあって、とてもじゃないが座らせたくなかった。

昨年春は座っていたが、そう言えば息子が座れるように、弟がDESCENTEのジャージでゴミを払ってくれたんだった。

そして一緒に座って、お話してたんだ。

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次に行けるのはいつか分からないけれど、「おじちゃんと行ったところ」、忘れないで欲しいなぁ。

 

もう、1年彼の声を聞いていないんだなぁ。

今後も聞けないし、LINEはずっと既読にならないし、もう肉体はなくて、お骨もダイヤモンドに変身したから、どう頑張っても戻らない。

 

彼のお骨とダイヤモンドは、常に私の胸元にいる。

ストレッチするとき以外はずっと付けっぱなし。

だから、常に考えてしまうのは「何が起こって弟の命は失われたのか」。

財布と携帯はどこへ行ってしまったのか、そもそも死因って何だったのか、時間が経ちすぎててわからないなら、死体検案書って開示請求したら見せてもらえるのか。

そもそもこの件について、開示請求って出来るのか。

軽く調べたものの、イマイチよく分からない。

司法関係の友人に聞けばすぐにでも分かるけれど、色々開示してそれを受け止めるだけのエネルギーが私にあるかというと、ちょっとわからない。

でもエネルギーはもしかしたら、これから先減っていく一方かもしれなくて、今がピークである可能性も十分にある。

でも仕事と家庭で時間がないのも事実。

 

ならば、エネルギーを維持し続けるしかない。

少なくとも体力がないことには始まらないと判断したので、私は楽天でフォームローラーを注文した。

実家にあった弟のストレッチポールを拝借したところ、なかなか良かったからだ。

 

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子供らにとっては椅子らしいが。

そういえば父が、この娘のツインテールを見て

ウルトラの母みたいで可愛い」

と褒めていた。

60代のツインテール代表は、ウルトラの母なのか。

私はモー娘。あたりだ。

弟の世代は、誰なんだろうか。

弟の部屋

弟へのお誕生日記事から2ヶ月ちょい。

本日に至るまでに、

弟の遺骨がダイヤモンドネックレスになって手元に届いたり、

娘がRSウイルスで入院したり、

娘が退院したらお約束の息子が感染したり、

大雨で仕事が怒涛の忙しさとなり(継続中)、

何というか、良くも悪くも怒涛の“日常“がとても過ごせていた私。

 

その象徴としてか、娘から「はやく」と呼ばれるようになった。

「かあさん」と呼んでいたのに、「はやく」。

私が日々「早くご飯食べて!」「早く着替えて!」「早く自転車乗って!」「早くお風呂入るよ!」「早く寝よ!」のオンパレードか、思い知らされた。

そんな娘を見て、両親は大爆笑。

そう、私は今実家。

 

こんな世の中だけど、今年のお盆は私にとって「不要不急」なんてもんじゃない。

行かなきゃ後悔する、そのくらい大切なので、職場にも説明の上、夏休み5日間を全てこの期間に使うことにした。

未だに激務だけれども。。

 

空港から実家までの道、見慣れた景色なのに、「あー、居ないんだ」。

実家に着いて、弟のメモリアルコーナーが出来ていて「あー、居ないんだ」。

夕食前になると、彼の車が向かってくるエンジン音を母が聞き分けて、自宅車庫に入ってくる時にグレーチングが「カシャン」と音がするはずなのに、何も無くて誰も来なくて「あー、居ないんだ」。

仏壇に戒名があって「あー、居ないんだ」。

 

娘が歩いてる姿知らないんだよなぁ

娘がこんなに喋るの、知らないんだよなぁ

娘が弟のスライムコレクションに喜んで遊んでいるの、知らないんだよなぁ

息子が時折オムツじゃなくてパンツ履いて頑張ってるの、知らないんだよなぁ

姉貴が「はやく」と不名誉な呼ばれ方してるの、聞いてないんだよなぁ

いつものように弟の服を勝手にパジャマにしても誰も怒らないんだよなぁ

今日はちょっとお高めadidasを借りてるんだぞ、軽くて良いねコレ。

 

adidasにはちょっとした思い出。

7年くらい前のお盆、お寺さんが「9時頃来る」と言うので、8時頃にまったり「顔洗うのいつにしよっかなー」なんて言っていたら、

8:15頃に車が自宅前に停まった。

お坊さんって、サマータイム適用するのだろうか…と考えていたら着替えが間に合わず。

弟はadidas、私はユニクロ、両親も適当な部屋着、唯一夫だけが着替えている中での、読経。

一通り終わったのちに母が「(私の夫以外)ほぼ全員いい加減な服装だったじゃん」と後悔の念を口にしたところ、弟は反論した。

adidasはフォーマルだから、俺はセーフ』

スポーツの世界ではね。

 

さらに数年後のお盆では、読経中に私と弟仲良く足の痺れを早々に感じてしまったことがある。

お互い一言も発してないのに、どういうわけか勝負になった(そのとき2人共20代)。

ルールは簡単。足の裏をツンツンし合って、先に崩した方が負け。

何も言葉は交わさなくとも伝わったのは、流石弟。

勝負の行方は忘れてしまったが、読経の時間は楽しく過ごせた。

その後、仲良く母に怒られた。

 

それにしてもお盆って、ご先祖さまの魂を〜というけれど、弟が、ご先祖さまになる?

母は「明日は仏様のご飯3つ用意しなきゃなぁ、忘れそう」と言っていた。

息子のために仏飯を用意する、読経を聞く、お花を供える…日常でも何かしらお供えしている両親は、どんな気持ちなんだろう。

弟の遺品を整理して、家の中も季節に合わせて額縁の中身とか掛け軸の柄を整えていて、どうしてここまで、息子の死を日常に上手く順応させられているように、見えるのだろう。

 

私は未だに、弟の貴重品が発見されていないことがモヤモヤだし、

毎晩寝る前に「29歳不明男性、遺体で発見」というニュースの見出しを思い出す。

遺骨ダイヤモンドが手元に来たら気持ちが変わるかと思っても、変わらない。

 

今回の初盆で何か気持ちに変化が…と思いたくて、一晩弟の部屋にいてみたけれど、

二人暮らししていた時に突然買ってきた電子ピアノとか(ドラクエ弾きたくなったらしい)

二人暮らししていた時に私がプレゼントしたスライム型スピーカーとか(すごい喜んでくれて、別売電池をダッシュでコンビニに買いに行ってたな)

二人暮らししていた時に一緒に行ったライブで買ったお揃いのマウスパッドとか

何度か借りたパソコン関係の本とか

2020年8月のまま、進んでないカレンダーとか

 

涙しか出てこないよねー。

弟から借りてるadidasに涙溢しちゃうよねー。

寂しいなぁ、

日常を過ごせていた私、結局彼の死を受け入れられてなかったみたいで、お供物は出発前に探したのに、

「何かを供えたい」という気持ちよりも

「なんで、弟、私より4歳若い人の、お供え探してるの?」という疑問の方が

比べ物にならないくらい圧倒的に大きくて、何も買えなかった。

さすがに数珠は、持って行くか躊躇したけれど「礼儀としてこれは守らねば」と鞄に最後に突っ込めた。頑張った。

 

今年の読経は、誰と足の裏ツンツンゲームしたら良いの?

わたし寂しいよ。

あぁでも、2歳目前の娘がきっと歩き回る。

下手したら読経の真似とかしそう。

そうだ、この子の制御に務めるのが私の役割だ。

そういうことにして、乗り越えよう。

それから先の夏は、そのときに考えよう。

今夜はハンバーグを食べ過ぎたので、アンタのストレッチポール借りるね。

それが終わったら、アンタが日々頑張っていたレッグレイズにリバースクランチをやらせていただこう。

お誕生日おめでとう

 

昨年の誕生日にあげた缶ビールが冷えないホルダーの使い心地はどうかね。

ちょうどコロナ疎開していたから、直接お祝いできたんだった。何年ぶりだったのかな。

さつま揚げ美味しかったね〜

 

『30代がすぐそこにあるの、複雑』

『何にも変わってないけれど、10の位が3になるのって、抵抗ある』

そんなことを言っていたね。

 

アンタがいなくなったとき、わたしには色んな感情が湧いてきたの。

母として、君が愛してくれた子供たちの笑顔を守らなきゃ

娘として、君を愛しまくっている両親を支えなきゃ

姉として、わたしを『姉貴』と呼ぶ人はもういないの?わたしはもう姉じゃないの?

 

のちにグリーフケアの説明会とか本を読んだりして、私の心に起こったのは「アイデンティティ・クライシス」と名付けられることが分かったのよ。

弟がいなくなってしまったことによる、

姉としてのアイデンティティが揺らいで不安定になる、ということ。

 

私はな、オメーのことは、しょうもねえ奴だと思っていたんだよ。

変に潔癖なところもあるのに洗面台はびしょびしょ、目見えてんのかよ!

さっき掃除するって言ったのにゴミの上歩くなよ、耳聞こえてんの!

親にバレないよう買い物するならコンビニ受取りにしとけよ!

また息子あてにトミカ買ったのかよ!自分の結婚資金貯めとけよ!

職場でお菓子配られたら断らないで、受け取って実家に置いとけよ職場での心証良くしとけ!

揚げ物の衣を取るのは職場の飲み会でやるなよ!

大皿から料理取るとき占有するなよ!

箸を口に運んでから食べ物から目を離せ(こぼすな)!

 

姉からこんな言われてたんだ、両親もそれはもう小言の数々だったでしょ?

だから「オメーはしょうもねぇ」だったのに。

なのに君が居なくなって、寂しさのほかに不安で不安で「アイデンティティークライシス」に陥ったよ。

 

この不安は、将来への不安だった。

私の未来には当たり前に君の姿があって、

叔父として子供たちの成長を楽しんでもらい、

子供として両親の葬儀を行い、

シワシワキョウダイで「親のところに行くのはどっちが先かね〜」なんて話す。

そんな未来。

ちょっと生々しい話をすると、私は実家を遠く離れて仕事も家も確立させたのに、両親への心配はそこまで無かった。

それは、君が実家の近く(車で1時間くらいかかるけれど)に居てくれたから。

私が離れても安心して生活できているのは、君の存在があったからだ。

それに、普段は何も気付かなかった。

 

それだけじゃない、

英語で困ったことがあったらすぐ質問できる、

夫がドン引きするような下ネタを時間問わずLINEできる、

息子のお辞儀が、膝を軽く曲げて膝に手をついて、仁義を切るようなもので、「めっちゃ桐生ちゃん」と笑い合える、

なんJスレの共有ができる。

私が投げたコトに対して、確実に打ち返してくる相棒です、君は。

 

あとね、君が居なくなってから、チラホラとFacebook経由でメッセージを貰うの。

哀悼のメッセージを、英語でね。

世界にこんなに友達がいたことは知っていたけれど、実感できて驚いている。

世界のみんなが共通して教えてくれたのは、

『話の引き出しが多くてジョークが通じて面白い、甥っ子姪っ子が大好きで叔父であることを誇りに思っている』

 

あぁもう、わたしにとって、最高の弟で相棒で誇りだ、君は。

私のもう一つの人生だ。

 

早く会いに行きたいけれど、目標の「弟の3倍」まで半世紀以上あるので、コツコツと君がずっと笑えるような話を貯めておく。

そちらの世界は時間の流れが早いとお寺さんから聞いたけれどエビデンスなんてないから、まぁ、気長に待ちなよ。

 

 

昨年、「あんたは何でそんなに引き出しが多いの」と聞いた。

『なんでだろう、色々な人と話してたり本を読んだりしてたら、返せてる。』

「返せないジャンルある?」

『んー、自分が興味ないものはやっぱり頭に入らないからな』

なんだろうな〜BLは返せないかな。

おはな

梅雨入りて。

早いなぁ、まだ5月だぞ?

3月末に対面する予定だったダイヤモンドは、娘の喘息発作のため会えず。

後日遺骨を樹脂に埋め込んでいるネックレスを、代理店の方に預けた。

今はネックレスのトップになるため加工処理されていて、次に会う時は、ダイヤモンドと遺骨そのものが並んでいる。

先日、突然息子に聞かれた。

「お母さん、おじちゃんのネックレスずっと無いけれど、さみしくない?」

息子はおじちゃん、私の弟がもういないことはわかっていない。

そもそも、まだ死という概念がないのではないか。

ただ私が「おじちゃんネックレス」と教えたのを覚えていたようだ。

11月から3月まで、1度も外さなかった。

3歳なりに「寂しくないのかな」と慮ってくれるなんて、息子マヂヵワ。

 

昨年の今頃は実家にいて、弟の田植え機デビューを見守ったと思い出したので、写真を見返した。

そしたら、桜並木の写真。

弟の車の助手席から、桜並木が綺麗で写真を撮っていた。

助手席にいたということは…弟と2人だったようだ、息子と3人で出かけるとき、私は後ろに息子と並んでいるから。

何でだっけ。何を話したっけ。

どこにも書いてなくて、さみしい。

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花なんて全然興味のない私だけれど、

息子も娘も「きれ〜」と言って足をとめたりする。

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娘なんて、手で伝えてくれるこの愛らしさたるや。

このロンTは息子のお下がり。

弟が、『これ、ふみちゃんの雰囲気にピッタリ!』と即決してくれた、大切なロンT。

娘にもよく似合ってる。

この娘がお腹にいる頃は、弟と3人で散歩しているときに、息子はずっと黄色の花をツンツンしていた。

その横で、甥っ子を見守る弟。

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足しか写ってないや。

いかに私にとって、弟が当たり前の存在で背景だったかがわかる。

そして弟の足しか写ってないのに、息子を見守っている様子が伝わる。

 

この黄色い花を見たのは8月。

『ふみちゃんタンポポだよ』と説明した弟。

8月にタンポポ咲くっけぇ???

というツッコミをせず、一緒になってタンポポタンポポ連呼していた私。

私は臨月妊婦というポンコツ頭だったから仕方ないとして(?)、そんな私と同レベルだった弟よ、少し花を学びなさい。

ゴッホのひまわりにしか、興味なかったのかい。

(好きだったのが、どの『ひまわり』かは、わからない)

 

未だに鮮明に思い出すなぁ、子供たちにメロメロになってる表情。

弟の写真はこれ以上増えることはなくて、

これから先、子供達の成長を感じるたびに「あぁ、この様子を知ることがないのか」と思って胸をチクチクさせながら喜ぶなんて。

残された人間が生きるのは、大変だ。

ただ、私は長く生きていくと決めた、弟の3倍は生きると決めた。

だから健康に、精神衛生に、交通安全に、一層気を遣っている。

 

先月、息子が散歩中に「お母さん、タンポポ、フワフワの綿毛ある!」とタンポポを摘んで、綿毛を吹き飛ばそうとした。

上手く吹き飛ばせない息子。

「お母さん、やって」と渡されたので、2回吹き飛ばしたところ、目眩がした。

健康全然ダメぇ。

硝子の少年はダイヤモンドの青年へ

夫がKinKi Kidsメドレーを口ずさんでいた。

この人はいつも歌っている。

ちょいちょい無意識に調が変わっていくのが気持ち悪いけれど、指摘したところで「真剣に歌ってないのに真剣に指摘するな」と言われるのが目に見えている。

だから黙っていたら、硝子の少年になった。

弟が、幼稚園の頃めちゃくちゃ好きで、担任の先生にお願いしてカセットテープに入れてもらい、擦り切れるくらい聞いていた曲。

チャゲアスのYAH YAH YAHも同じ。

 

そんな弟のことを、このブログを放置していた2ヶ月くらい、私は変わらず毎日考えていた。

ハンドメイドで簡単なファスナーポーチのみならず、通帳ポーチやマスク一時置き、ランチトート、ビッグトート、箱ティッシュケース、保温ポーチ、めちゃくちゃ作品を作りながらも、ずっと考えていた。

仕事をしていても、1時間に1回は頭に浮かぶ。

それは思い出だったり、遺体発見時の親の泣き叫ぶ声だったり、遺骨だったり。

でも上司には「元通りにしか見えない」と言われたし、睡眠薬ともおさらばした。

 

職場で心無い事を言われても、毎日出勤して、そいつらにも挨拶した。

育休と続けて休んで迷惑かけてきたわけだから、強くは言えない。

子供達も体調崩して、この2ヶ月は小児科や夜間救急のお世話になっている。

とまぁ大なり小なり苦しいことはあっても、前述の通り、「普通のわたし」を過ごせていると思っていた。

一本の電話が来るまでは。

 

電話の相手は、遺骨をダイヤモンド加工してくれる会社の日本代理店。

ダイヤモンドが完成しましたよ、とのこと。

私が今身に付けている遺骨入りネックレストップと一緒にするために、一度ネックレスを預かりたいとのこと。

それの日程調整だった。

 

事務的に日程調整を終えたあと、「一番大切なことが」と言われ、

「今、ダイヤモンドは日本に来ているのですが、お会いしますか?」

と続いた。

 

「お願いします」

即答、迷いはなかった。

親より先には…なんて配慮は1mmもなかった。

会いたい。

何色のダイヤモンドに変身したのか。

スイスどうだったの、とか。

スイスのチョコレート美味しいよね、とか。

ハイジいた?とか。

とにかく会ってくだらない話をしたい。

 

代理店の方が自宅に来てくださるので、子供達と一緒の対面になる。

涙を我慢しなきゃならないのが大変だけれど、そこは母として頑張る姉貴を見てもらおうじゃないか。

 

なんて思いながらも、

ふと、

やめておけばいいのに、

地元県警のHPの「身元不明遺体」のペースにアクセスし、

慰留品の写真や状態を見てしまった。

もちろん、そこに掲載されているのは弟のものではない。

ただ、時間が経った衣服はどんな状態なのか。

弟は見つかったとき、服とか靴はどんな状態だったのか、突然知りたくなった。

そう思ったら「やめておけ」という理性はどっか行って、好奇心だけで画面をスクロールしていた。

 

見た瞬間、めちゃくちゃ後悔した。

当たり前だけれど、綺麗ではない。

2人暮らしのときに「汚くするな」『オメーが潔癖すぎる』という喧嘩をしたくらいだが、弟もそこそこ潔癖。

そんな弟が、あんな状態なんて、最期は身も心も辛くなかっただろうかと、泣けてくるし苦しくなった。

ポジティブな方向に行くはずがない、と頭でわかっていたのに、なんてアホなことをしたんだ。

 

とりあえず、1人では抱えきれそうにないので、吐き出し。

弟との思い出がなかなか進まない。

1つだけ下書きに、弟の惚気話をブラコン全開モードで書いているものがあるけれど、なかなか完結せず。

バレンタインホワイトデーの話も、あるのになぁ。

最後のホワイトデーはLINE Payだったなぁ…

3年前は、悪阻で苦しむ私に手作りクッキー作ってくれたの、美味しかったなぁ…

 

今夜は久々に、おくすりの出番です。