すずうくぬつ

自分のための、弟のしじゅうくにちです。その日に思い出した弟との思い出を忘れないように、必死こいて文字化しています。

立ちション

息子のトイトレがぜーんぜん進まない。

ただ、尿意はわかるみたいで、お風呂場では「おしっこ出る」と教えてくれる。

そして、何故か膝を軽く曲げ、手を腰に当てて、その場で用を足す。

まさに小便小僧。

あのポーズってナチュラルに取れるものなのか。

私、女だからわからない。

 

弟が未就学児で、私が小学校低学年だったとき。

夏休みに自宅の玄関と庭で弟と遊んでいた。

庭石を登ったり下りたり、砂利を弄ってみたり。

途中から私は暑くなったからか、日の当たらない玄関でノートを広げて絵や文章をカキカキ。

外では変わらず、弟が遊んでいる。

そして徐にズボンを下げて立ちションしたり、私の真似をしてノートに落書きしたり。

本能の赴くままだった。

 

小学校低学年女児から見て、弟の動きはシュールに見えたのかもしれない。

特に立ちションは一生出来ないので、とても興味深かったのかもしれない。

私は弟の一連の動きを、詩にしてノートに書いていた。

タイトルは弟の名前で。

詩には「しっこたれ」「小さいちんちん」など教養のカケラもないフレーズが多数登場していた。

 

この詩を読んだ母は面白いと思ったのか、夏休み明けに宿題と併せて担任の先生に見せた。

そして担任の先生も、「観察眼と表現が子供ならではの独特さがある」と思ったらしく。

地元の新聞に投稿した。

そして、掲載された。

 

この詩が掲載されたことは家族親戚、皆が喜んでくれた。

ただ1人、弟を除いて。

弟は小さいなりに『恥ずかしい』と思ったらしい。

それは年齢を重ねるたびに膨らみ、小学生になった頃はその詩の話をされるだけで怒っていた。

祖母は新聞を切り抜いて眼鏡ケースに入れており、それも恥ずかしかったらしい。

『なんであんな恥ずかしいのを書いたの!』

と何度か言われた。

いや、書いたのは私だけれど、公表に至ったのは多くの大人のせいだ。

母、私の担任、新聞社担当者の少なくとも3人のせいだ。

私は悪くない。

 

もっと大きくなると、露骨に怒らなくはなったけれど。

大人になってからはこう言ってた気がする。

『人の立ちションがそんなに面白かったのか』

面白かったよ、だって私出来ないもん。

 

もう少し真剣に考えると、詩になったときの弟は確か3歳頃。

今の息子と同じくらい。

弟は既に、尿意からズボンを下げての立ちションマスターしていたのか…

息子よ、お前の叔父はすごいぞ。

君も頑張れ。

オムツをパンパンにした状態でジャンプして、「おしっこが踊ってる!」って笑っているのも微笑ましいが、少しは不快感を覚えなさい。