一周忌法要のおはなし
今の天気みたいに、湿っぽい話が続くなあ。
ちょっと前に、一周忌を終えた。
直前まできゃっきゃしていた子供たち、読経が始まると途端にピタッと黙る。
子供は敏感だと思っていたが、さすが。
声を発しただけで子供たちを鎮められるお寺さんも、流石。
癇癪起こしたときに来てくれないかしら。
子供たちが私の膝の上に座っていたので、光の速さで私の足は痺れた。
数年前弟とやった足の裏ツンツンゲーム、弟の法事ではもちろん弟と対戦出来ないので、早々に崩して座った。
正直なところ、お盆で祖父母と『弟』を迎えることに違和感しかなくて、
私はずっと仏壇を険しい顔で見つめていた、というか多分、睨んでいた(読経後の顔の疲労感より推測)。
弟は両親が与えた名前ではなくて、戒名というあちらの世界での名前で呼ばれていた。
やはり、違和感。
涙も出そうになったけれど、子供たちの前なので上を向いて頑張った。
泣かないように何かツッコミどころが無いか探して、お寺さんがめちゃくちゃ日に焼けていることに気付いて、クスッとなった。
それでも少し溢れた分は、綿100%の服で即吸い取ったので誰にも見られずに済んだ、はず。
読経が終わってから、お寺さんがお利口にしていた子供たちを褒めてくださり、息子はニッコリ。
ちょっと場が和み、母が「おじちゃんのこと、大好きだったもんね〜」と話しかけると、息子はこう答えた。
「違うよ、今でも好きだよ」
最後の最後に、やられてしまった。
数日後、息子と少し外を歩いた。
ちょっとした開けた場所にある、東屋が見えたら、息子はすかさず
「おじちゃんと行ったおうちだ!お母さん、あそこに行く!」
昨年のコロナ疎開の頃か、よう覚えてるな。
結構草が生えていたので面倒と思いつつ、息子の中に弟がまだ生きていることにすごく安堵して、忘れさせまいと思って、東屋へ。
昨年春と変わらず、ベンチの上には鳥のフンとかがたくさんあって、とてもじゃないが座らせたくなかった。
昨年春は座っていたが、そう言えば息子が座れるように、弟がDESCENTEのジャージでゴミを払ってくれたんだった。
そして一緒に座って、お話してたんだ。
次に行けるのはいつか分からないけれど、「おじちゃんと行ったところ」、忘れないで欲しいなぁ。
もう、1年彼の声を聞いていないんだなぁ。
今後も聞けないし、LINEはずっと既読にならないし、もう肉体はなくて、お骨もダイヤモンドに変身したから、どう頑張っても戻らない。
彼のお骨とダイヤモンドは、常に私の胸元にいる。
ストレッチするとき以外はずっと付けっぱなし。
だから、常に考えてしまうのは「何が起こって弟の命は失われたのか」。
財布と携帯はどこへ行ってしまったのか、そもそも死因って何だったのか、時間が経ちすぎててわからないなら、死体検案書って開示請求したら見せてもらえるのか。
そもそもこの件について、開示請求って出来るのか。
軽く調べたものの、イマイチよく分からない。
司法関係の友人に聞けばすぐにでも分かるけれど、色々開示してそれを受け止めるだけのエネルギーが私にあるかというと、ちょっとわからない。
でもエネルギーはもしかしたら、これから先減っていく一方かもしれなくて、今がピークである可能性も十分にある。
でも仕事と家庭で時間がないのも事実。
ならば、エネルギーを維持し続けるしかない。
少なくとも体力がないことには始まらないと判断したので、私は楽天でフォームローラーを注文した。
実家にあった弟のストレッチポールを拝借したところ、なかなか良かったからだ。
子供らにとっては椅子らしいが。
そういえば父が、この娘のツインテールを見て
「ウルトラの母みたいで可愛い」
と褒めていた。
私はモー娘。あたりだ。
弟の世代は、誰なんだろうか。