3000文字近く
両親が来てから数日が経過した。
子供らのチカラはすごいもので、いつも通り生活しているだけで、両親を簡単に笑顔にしている。
そしてその純粋さはときに残酷で、両親は私と弟という姉弟と、私の息子娘という兄妹を重ねてしまうようで、非常に辛そうだ。
そして私は新たな事実を聞いて、またもやられそうだ。
今からめちゃくちゃエネルギーを使う覚悟で、どうしても書きたいことを、記す。
書いても何も変わらないだろうけれど、私の気持ちが多少は整理されないかと期待して。
気持ちがやられそうだから、荒療治でもいいから、なんとかしたい。
弟と最後に電話をしてから、見つかるまでの日々のこと。
*
夏のある日の週末。
我が家も夫、私、子供たち全員が家にいた日。
外は暑くてお出かけもご時世的にままならないため、実家の両親・弟とテレビ電話を楽しんでいた。
息子は画面越しに踊りを披露し、祖父母叔父に褒められてご満悦。
そして弟は『これから約束だから〜』と退場した。
食事に行ったらしく、20時頃には実家のグループLINEに『今度行こう』とメッセージ付きでお店のURLを送ってくれた。
翌日は友人親子が遊びに来て、賑やかだった。
一方で実家のグループLINEがめちゃくちゃ静かだった。
多少違和感はあったけれど、週末はいつも携帯なんてあまり見ない。
違和感に蓋をしておいた。
週が明けて、娘の予防接種だったり、娘の保育園落選通知だったり、心身ともに忙しい日だった。
ただ、明らかに実家グループLINEの進みがおかしい。
全員読めば既読が3。
なのに、ずっと2。
写真共有アプリに子供たちをアップしても、弟だけがログインしていない。
気になって、娘の落選通知を母に電話で報告しても、「わかった、今忙しいから」とすぐに切られてしまう。
おかしい。
何か隠している。
弟にLINEを送っても、全然反応しない。
何かあったことは、間違いない。
ただ、私に言わないということは、それだけのことが起こっていると判断した。
親が言うまで、待つことにした。
自分から聞く勇気が無かっただけ、という説もある。
役所や職場に行って、保育園の書類を書き直したりと、やることもあったから、そっちに注力した。
また、週末になろうとしていた。
夕方、母から「大切な話がある。近くに夫君がいるときに電話したい」と言われ。
夕食後に電話をした。
両親の口から聞いたのは、2番目に聞きたくない内容だった。
テレビ電話した日の夜から、(弟が)行方不明になっており、公開捜査が始まるということ。
警察に届を出したが、「成人男性だし自らの意思で失踪だろう」と言われ、親族や弟職場など色んな人が警察に「絶対にそれはない」とかけ合い、やっと防犯カメラの確認許可が下りたりして、それでも何一つ手がかりがなく、公開捜査が始まろうとしていること。
両親は個人的に防犯カメラの録画を見せてもらおうと色々動いても、どこのカメラの管理者にも警察を通してと言われ(それはそうだ)、警察に頼んだところで「自分の意思での失踪でしょう」となかなか見せてもらえなかったこと。
届を出して数日後に、ようやく許可が下りて見せてもらえて、頑張って映像を見続けて弟の足取りを追っていたということ。
週末に父職場、弟職場の人たちと捜索する予定であるということ。
チラシを刷って、駅周辺で配る予定であること。
SNSで拡散してもらっていること。
両親は私がSNSで知ることのないよう、直接電話してくれたようだ。
2人とも、言葉にするのも辛かっただろうに。
両親は最後に「絶対見つける。こっちはこっちで頑張るから、あんたは子供たちの笑顔をちゃんと守れ。」と言った。
そして「この人を捜しています」のチラシデータを送り、拡散するよう連絡してくれた。
通話終了後、私には子供たちのお風呂と寝かしつけというミッションがある。
記憶はないが、これをこなしながら、地元の友人達に片っ端からLINEした。
「おかあさん、ちゃんと(僕のことを)見て!」
と何度も息子に怒られたが、上の空。
どうにかして子供達を寝かせて、再び地元友人に片っ端からLINE。
夕食に食べたトマトカレーは、身体に吸収されることなく、ほとんど出てきた。
子供たちに見られなくて、よかった。
そして「寝なきゃ」という意識の中で、寝られるはずもなく、翌朝を迎えた。
コンディションは最悪である。
こんな日が続くのは危険すぎる。
せめて寝るために、心療内科で薬をもらおう。
私は情報を持っていそうな方達にSOSを出した。
自宅から1番近くに住んでいる、産後ヨガでお世話になった方が、真っ先に返信をくれて。
顧客から聞いた口コミ情報のみならず、来週から自宅に通うよ、と仰ってくださった。
他にも同僚や職場のパートさんも、全員が力になってくれた。
調べるとウーバーイーツも結構ある。
我が家の生活はキープできそうだ。
週が明けた。
夫は在宅勤務にシフトし、近所からヨガコーチが応援に来てくれた。
我が家は無事に回っていた。
しかし、相変わらず弟は出て来ない。
親とは毎日のように電話をした。
1つも進展がなかった。
通帳も毎日記帳しているが、動かない。
クレカの使用履歴を見たら何かわかるだろう、全く動いていないにしても、それがヒントになるだろうと思って照会をすると、家族であっても警察を通さないと確認できないとのこと。そりゃそうか。
警察に頼むと、「照会文書を送ってもめちゃくちゃ時間がかかる」と言われてしまい、すぐにはわからないらしい。
(ちなみに照会依頼をして既に2ヶ月経過しているが、照会内容は未だに報告がない)
報告内容は、防犯カメラを確認していた、弟職場の人とタクシー会社を回った、有志が何十人と集まって捜索してくださった、という内容から、
日に日に「自費でドローンを飛ばして捜索している」「自費で船を出した」など、命を落とした弟を見つける活動にシフトしてきた。
何もしていなくても吐けると思った(吐かなかったけれど)。
頭を打って記憶喪失になって、誰かに保護されていて、と願ってばかりいたが。
ついには、イタコさんが出てきたときは、倒れるかと思った。
ただ、偶然か娘が頬にキスしてくれたので、可愛くて笑ってしまった。
そして息子が初めてオマルでオシッコをして、万歳をした。
さらに数日経って、翌日に心療内科の予約が取れて、明日からは眠れるはず、と思いながら、ぼんやりしていた日のこと。
近所のヨガコーチさんがずっと娘を見てくださり、私は家事をして気を紛れさせていた。
そんな中、父親から着信があった。
いつもは母なのに、父親から。
嫌な予感しか、しない。
父親からの連絡は、1番目に聞きたくない報告だった。
身元不明遺体が見つかった、多分弟だろうということ。
見つかった、身体は帰ってくるということに救いを見出したものの、尋常じゃない衝撃だった。
娘の昼食支度をしていたが、手が震えて進まず、コーチに「ごめんなさい、お願いします」と雑に全てを託して、リビングを出た。
何をして手の震えを元に戻したか、覚えがない。
ただ、1人じゃなくて良かった、と心から思った。
*
疲れた。
見つかるまでの日々、私目線。
未だに身に付けていた貴重品は見つかっていない。
何が起こったのかは永遠にわからないのだろう。
まだまだ辛い。
ので、あと何回か続けさせてください。