すずうくぬつ

自分のための、弟のしじゅうくにちです。その日に思い出した弟との思い出を忘れないように、必死こいて文字化しています。

続「おじちゃん」

育休最後の今日。

お昼にちょっと足を伸ばして、海鮮丼を食べた。

メニューに目移りしたけれど、どれも美味しそう。

味は普通だったけれど、お刺身は久しぶりだった。

弟は魚大好きだったなぁ、と思うと涙が出てきそうで大変だった。

山葵のせいにでもしてしまおうかと、またもベタなことを考えながら、完食。

次はないな。

 

昨日の続き。どこまで書けるかな。

昨年GWのあとに会ったのは、昨年8〜10月。

娘の里帰り出産のため、息子は休園して2人で実家のお世話になった。

GWからたった3ヶ月くらいしか離れていなかったのに、息子の語彙力は大爆発。

2語文を駆使して自分の意思を伝えまくっていた。

特に「あれ、ほしい」はバッチリだった。

ただでさえ可愛い甥っ子に、ストレートでおねだりされると、もうメロメロらしい。

弟はリクエストされたトミカを買って、毎週末実家に顔を出した。

息子が「おじちゃん」と呼び出したのもこの頃。

最初は「おじ、おじ」と呼んでおり、弟は『可愛いけれど、俺まだ20代なのに、複雑だわ…』となんとも言えない顔をしていた。

しかし弟の車の音が聞こえると、遊んでいる手を止めて勝手口の方へ走り、「おじちゃん!」と出迎える息子の姿はたまらなかったようで。

『おじちゃんだよ〜』

とニッコニコで自ら名乗るようになっていた。

息子が初めて喋った3語文が

「おじちゃん、ロードローラー(のミニカー)、ほしい」

だったときは、両親とともに大笑いした。

おもちゃも買ってくれて、お外に散歩に行ってくれて、高いところは抱っこしてくれて、車の運転席に座らせてくれるおじちゃん。

息子は懐きまくっていた。

娘出産のための入院期間、全く私のことを恋しがらなかった息子。

両親と弟の全力愛情の賜物である。

娘を連れて戻るときは、弟が最後まで息子を抱っこしていてくれた。

 

そして、その次が今年の4〜6月。

いわゆるコロナ疎開

これが最後になるなんて、全く思いもしなかった。

緊急事態宣言のため登園停止になったら大変だと、新年度にまた休園して実家へ。

半年以上経っているので、息子の会話スキルはさらにアップ。

完全に会話が成り立つようになった。

弟も会話が楽しくて、ついには2人でドライブに行くようになっていた。

チャイルドシートの載せ替えをマスターして。

2人でドライブして、弟が見つけたミニカーがたくさん売っているお店に行ったらしい。

私がいないから、息子はたくさん買ってもらっていた。

ミニカーではなく、観賞用のトラクターまで買ってもらっていた。

帰宅してからは

「ほしいものは何でも手に入ると思ったら困る!」

と私がめちゃくちゃ説教したものの、

『ふみくんがロックオンしたんだもん』

と満足げにしており、私の説教があまり響いていなかった。

気付いたら2人だけの合言葉のような挨拶もしていた。

『やったーやったー、ゴールだムー』

「いっぱいがんばった」

『すごいふみ!』

「すごいムニ!」

※ムーニーマンのトイレトレーニングアプリの音声

もはや叔父と甥、ではなく男友達である。

このとき、息子のおむつ交換(オシッコ、ウンチ両方)に息子の歯磨きもマスターした。

 

疎開後は娘の入園申込や準備のため、実家に行けず。

時折テレビ電話して、息子が言うこと聞かないときは諭してもらった。

なぜか親じゃないと、素直に言うこと聞く。

(自分も身に覚えがあるから何も言えない)

そして最後のテレビ電話から、もう2ヶ月半。

早いんだか、わからない。

 

息子の男友達として遊び、人生の先輩として経験したことを話してほしかった。

娘の歩いているところを見てほしかった。

娘の口から「おじちゃん」って言葉を聞きたかった。

 

せめて彼・彼女の夢に出てきて、

『お野菜、美味しいよね!』とか、

『おまるでオシッコ、気持ちいいよ!』とか、

『ふみくん』

『ちーちゃん』

って何か声かけて、私のお手伝い、しておくれ。