すずうくぬつ

自分のための、弟のしじゅうくにちです。その日に思い出した弟との思い出を忘れないように、必死こいて文字化しています。

「おじちゃん」

娘を迎えに行って、そのまま息子の園へ。

2園ハシゴは辛い。

しかも近所で大掛かりな工事をしていてクレーン車がいる。

車大好きな息子は見たがるので、娘を抱っこして息子と手を繋ぎ、肩には2人分の荷物、自宅駐車場でクレーン車を眺める。

子供3人以上とか、手が足りないぞ…近くに親戚がいない我が家には、無理だ…

そんなことを思ってたら、軽自動車が前面道路を通った。

息子は「おじちゃんの車だ!」と叫ぶ。

弟の車はスポーツタイプだったけれど、なるほど同じエンブレムだ。

よく見てるな。

 

家の中に入ると、息子に聞かれた。

「おじちゃんはどこにいるの?」

2ヶ月以上、テレビ電話にも出てこないし、写真も来ないもんね。

3歳の子に命の話はどこまで分かるのか悩みつつ、とりあえず分かることだけを伝えた。

「おじちゃん、どこだろうね。お母さんもね、わからないの。会いたい?」

「うん、あいたい。」

「お母さんもね、とーっても会いたいの。でもね、遠くに行ってしまって、どこにいるかわからないの。」

「とおくって、どこ?」

怯んだ私、ちょっと考えて出て来た言葉は、物語でよく聞く表現そのものだった。

「うんと離れているところだよ、もしかしたらお空かもね。お月様とかお星様とか、ずーっと高いところかな」

「おそら…」

息子なりに理解しようとしたのか、掃き出し窓から外を眺めて、早々に切り替えておもちゃを出してきた。

3歳にしては、ゆっくり話を聞いてくれたと思う。

お星様に例える方法はテンプレなのかと思うくらいドラマやらアニメやら小説で使われていたけれど、当事者になると、自分の言葉で紡ごうとしても似たような表現になってしまった。

空から見ていて欲しい、という気持ちが出てきているのか。

弟みたいに、たくさん本を読んでいたら、もう少し別の表現が出来たのだろうか。

 

弟がおじちゃんになったのは3年前。

私のお腹にいるときは何とも興味なさそうだったのに、生まれた日は仕事を早退して見に来た。

『写真撮っても良い?』

と言うので気にせず撮れと言うと、スマホを息子に向けず、親に渡していた。

一緒に撮るのかよ、と両親も私も笑ったが、そんなことはどこ吹く風で新生児と2ショットを撮っていた。

退院後は抱っこしたくても怖くて出来ず、母が抱っこしている後ろにずっといて、息子を眺めていた。

息子が泣いた時は、頭を撫でて泣き止ませようと頑張っていたが、母に「そんなんで泣き止んだら神童だ」と言われていた。

1度だけ、私が弟の腕に息子を乗せて見たときは、緊張で肩がガチガチのロボットみたいな姿で抱っこしていた。

オムツを切らしてしまったときは、仕事終わりに買ってきてくれた。

 

次に会ったのは私の育休が明ける直前、息子が10ヶ月位のとき。

帰省した初日は、弟は旅行のため不在だった。

帰ってきて実家に顔を出したのは、夜。

『絶対音立てないから』

と言って、真っ先に息子の寝顔を見にきた。

そしてお土産だと、そっとTシャツを渡してくれた。

OJICOの可愛いTシャツ。

サイズなんてわからなかったのに、お店の人に月齢とか説明して選んできたそうだ。

翌日は時間の許す限り、ずっと息子の隣にいた。

可愛くて身体を使って遊びたいものの、息子はじっくり遊ぶタイプで、あまり動かない。

そんな息子を尊重して、弟は80cmくらい…息子の身長より少し大きいくらいの距離を空けて、ずーっと眺めていた。

時折写真を撮って。

どんな写真撮れたんだろう。

 

次に会ったのは、翌年のGW。

私のお腹には娘がいて、つわりが落ち着いた頃。

弟は長期休暇だというのに、旅行に行かなかった。

車を買ったからお金無いのかなーなんて思っていたら、どうやら『甥っ子と遊びたい』と言って旅行の計画自体をしていなかったようだ。

息子は意思疎通がどんどん出来るようになって、言葉も返ってくるようになって、この時期の可愛さ満載だった。

弟も面白くてたまらないようで、

『お手てタッチ!』

「たっち!」

『じょうず〜』

とハイタッチしてもらうのを何度も楽しんでいた。

 

このときの動画を見ていたら、久々に弟の声を聞いた。

2ヶ月以上、聞いてなかった。

少し苦しくなってきたので、書くのは一旦おやすみ。

おじちゃんとしての活躍は、まだまだたくさんある。