すずうくぬつ

自分のための、弟のしじゅうくにちです。その日に思い出した弟との思い出を忘れないように、必死こいて文字化しています。

留年小騒動

先日から息子の野菜拒絶がひどい。

前まで来るもの拒まずだったくせに、突然野菜を避ける。

口に入ろうものなら「ヴォエェェェェ!」と胃腸炎並みのシリアスな雰囲気で口から出すから、ビビる。

なんなんだ。

娘はまだ来るもの拒まず。

さすがにレタス1枚渡してみたら投げられたけれど。

 

前回の思い出(続々 靴 - すずうくぬつ)を書いていたら、ちょっとした騒動を思い出した。

弟が大学4年、就職も決まり、あとは卒論を終えるのみ!というとき。

 

遡って、弟が大学3年の2月頃。

その頃東京を離れていた私は、友人結婚式のために上京した。

結婚式が土曜だったので、金曜に弟アパートに泊めてもらった。

金曜夕方に駅に迎えに来てもらって、荷物置いてから飲みに行ったなぁ。

私のお金で。

弟は『あの辺何もねぇ』と言っていたけれど、裏路地探して見つけた酒屋。

ご飯も美味しくて『ここ1人じゃ無理だったから見つけられて良かった』と感謝された余談。

その夜、弟が初めてのゼミ発表パワポを作成中と言うので見せてもらった。

ら、タイトル以降、見事に白紙。

 

『週明けに先輩が見てくれるって言うから、その時に聞こうと思って』

イヤアンタソレダメ、せめて自分なりに考えて作って、それを見せて、「ここまでは自分で考えましたが、ココは分からなかったです。先輩ならどうしますか?」とか、そう言う質問にしないと!丸投げダメだから!!

とめちゃくちゃ説教した。

四則演算できない子が因数分解教えて!って来たら、四則演算くらい自分でやってから来い、と思うでしょ?

とか(ちょっとズレてる)。

散々説教したのち、私は風呂に入ったりドラマを見たりして寛ぎ。

翌日、一緒に朝を食べ。

弟にワンピースの背中のファスナーチェックとウエストのリボンを結んでもらい。

式場へ向かった。

世話になったくせに説教しただけの、嵐のような姉じゃないか。

でも、このときは「あんな調子で研究室生活大丈夫なのか」とめちゃくちゃ心配したのを覚えている。

 

そして1年ちょいすぎた3月。

学内システムで卒業出来ることを確認できた弟は、とても、安堵していた。

のに、卒論発表リハーサルで、教授にボロクソ叩かれ。

「そもそもテーマがおかしい、お前だけやり直せ。発表会出るな。卒業させられない」

など散々の言われようだったそうだ。

正直、私の周りの友人もボロクソに言う教授に心をやられた子がチラホラいるので、弟は本当に縁がなかったと思った。

素直な弟は思った通り、すごく心にダメージを受けた。

そしてそんな精神状態でも、頑張って教授に指導を求めに行っていた。

話を聞いていた両親はもう、寝耳に水という感じで、パニック。

「もう就職決まってんのに、システム上で卒業可って出ているのに、たった1人の声で卒業させないなんて横暴すぎる!そんなの出来るのか!」

もう、大騒動であった。

さすがにそれは無いとは思いつつ、私も弟のことを見ていられなかったので、久々に電話した。

自分が卒業した、研究室の教授に。

教授は両親のことを知っているため、騒動になっていることを即座に理解してくださり(恥ずかしい)、丁寧に教えてくれた。

「卒業可否は会議で多くの教員が決め、その結果がシステムに表示されている。なので、システム上“卒業可”なら、大丈夫。

教授1人の一存で卒業可否がひっくり返ったら、それは大問題。

きっと弟さんの研究室の先生は、少し発破をかけたんじゃないかな」

 

この内容を弟に…ではなく、まず母に伝え、宥めた思い出。

その後は弟とひたすらLINE。

『マジ無理』

『留年するくらいなら退学する』

無事に卒論発表会に出ていいと言われたあとも

『質疑答えられるか不安』

『わからないこと聞かれたらどうしよう』

もう、自分の卒論発表の頃を思い出しすぎて、必死に「大丈夫だから」を連呼していた。

当時のLINEを読み直すと、お互い必死すぎてハラハラする。

そして発表を終えて卒業への切符を手に入れた弟。

 

2日後、私は上京して一緒にご飯を食べた。

お店は弟が電話で予約してくれた。

帰りは高速バスだったので、見送りに来てくれた。

晴れやかな笑顔で手を振ってくれた。

 

そして、4月。

晴れて地元で社会人デビューした弟。

社会人として新たな悩みを抱えて、また私へLINEしてくれるのであった。

 

おしまい。